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http://anond.hatelabo.jp/20090227192724 ブログ【修士論文の代わりに退学願を提出してきた】東大生と、それに対する【大学准教授のコメント】へのみなさんの反応をまとめたものです。 大学院の意義から、就職活動、教育、社会問題まで多くの方々から幅広い意見が出ています。様々な立場や価値観からのコメントがあり、深いです。 非常に興味深いですね。 記事の中では学校に対する考え方を学生と指導員の2面から見れていることは非常に面白いですね。 また、日本学問の最高府である東大であるからこそ、これだけの話題性を保つ事ができたのだと私は思います。 学術によって、その志向は様々ですから、東大が事実上の最高府であるかどうかはおいておいて、日本国内のマジョリティな認識として頂点にある事は疑いようもないですからね・・・。 この中で特に気になった事ですが、 「学問」というのは崇高なもので、民間でのお金儲けとは違う。というものではないかというもの。教員をしていると常々思いますが、本当の意味で社会から必要とされていない研究は研究とは呼べません。その意味で全ての学術研究は何らかの社会的意義があり、社会的なコスト負担を伴って推進されるべきものです。 という記述がありました。 これはどうなんでしょうね。 個人的には学術の目的と社会的な応用を前提として学術研究は繋がってこそあれど、異質ではないかと思います。 研究結果がどのように社会的価値を生み出すかどうか?という考え方は非常にビジネスライクです。 そこには結果のみが追求され、いかにお金を生み出すかというゴールが与えられています。 他方、○○についての学術研究は、その解が目的であり、ゴールとなるものではないでしょうか? つまり、そもそもどちらに傾くべきかというよりかは分担化されて考えられる問題点ではないかと考える訳です。 例えば、学問を探求し、結果的に解は得られたとしてそれが社会的にお金を生み出さなかった時にその学術の価値も地に落ちるのでしょうか? きっと殆どの研究者は「No」と答えるでしょう。 「解に到達する事が学問の目的」と考えることでしょう。 ですので、この「学問を目的とする」という大学の在り方があれば、解を得る事が目的な訳ですから「その先の就職を目指す」という構造は在り得ません。 従って、現在の大学構造はあくまで「学問」ではなく「就職予備校」として存在している事になります。 そこでの学問の扱いは、「就職の為の知識や経験としての学問」であり、「学術的な解」が目的になってはいけないのです。 これは社会に出れば分かることですが、どんなに優れた知識を有していても社会に求められ、価値を認められるのは「結果」です。 解明が困難な解であっても、誰でもわかる解であっても、「結果、それが何を生み出すのか」が判断基準になっている以上は、学術的な意味はないのです。 「勉強したいやつは大学へ行け」ではなく、「大学では社会で必要な事を学べ」というのが最も現代に適した考え方ではないでしょうか。 大学院を大学の延長期間とするのではなく、そこを学術的構造に割り当て、大学はあくまでも就職に特化した部門として機能させれば、より優秀な人材教育できるのではないでしょうか。